飯田 正樹(いいだ まさき)
東京都板橋区出身の音楽家、ギタリスト、ドラマー。
1985年 11月6日生まれ。
2006年、5月
憧れのミュージシャンに、半ば無理やり音楽活動の世界へと引っ張り込まれ
21歳にして
音楽活動を始める事になる。
それからの10年間
ユニット、バンド、弾き語りなど
様々な形態での活動を経て
2016年より
「飯田正樹」
として、ソロアーティストとしての活動を開始。
北は北海道、南は福岡まで
全国各地でのライブ活動を展開。
2021年より、ギタリストとしての活動を開始。
様々なアーティストのサポート、セッションの主催など
ギタリストとしての活動も広げている。
2022年より
“Everyday Guitar”
2024年より
“EveryたいDrums”
という企画名で、SNSに毎日、ギター、ドラムの演奏動画を投稿している。
自身のバンド「mizu plus(ミズプラス)」のミュージックビデオの制作をはじめ
他アーティストの映像作品も制作するなど、映像クリエイターとしての顔も持つ。
また、自らが1つ1つペイントを施した
トートバッグや、iPhoneケースなどのオリジナルグッズも製作している。
音楽以外の好きなこと
・読書
・旅
・映画館
・料理
・DIY
もくじ
- 1 音楽の成績が「2」だった僕が、音楽活動を始めた理由
- 2 家庭の崩壊、笑うことのない日々
- 3 ZONEとの出会い、そして初めてのアルバイト
- 4 ミュージシャンとしての生き方を決めた、運命の出会い
- 5 手足が震えた、人生初ライブ
- 6 ギター2本での可能性を探求するバンド「mizu+」結成
- 7 ソロ活動開始、そして全国へ
- 8 音楽を仕事にするため、必要なものを探して
- 9 「シンガーソングライター 飯田正樹の音楽知識のすべて」開設
- 10 父との別れ、自分の生き方を見つめ直す
- 11 自分の歌に自信を持つために
- 12 Popinx Music Studio開業
- 13 ギタリストとしての活動、”Everyday Guitar”をスタート
- 14 セッションへの参加、たくさんの人との出会い
- 15 ドラムを習い始め、EveryたいDrumsを開始
- 16 新しい挑戦、出会い
音楽の成績が「2」だった僕が、音楽活動を始めた理由
こんにちは!
シンガーソングライター、ギタリストの飯田正樹です。
僕のサイト
「シンガーソングライター 飯田正樹の音楽知識のすべて」
を見てくれてる、あなた。
まず
このサイトを見てくれて
そして
こうして、プロフィールまで見てくれて
ありがとうございます!
プロフィールを見てくれるくらいだからさ
ちょっと僕の音楽歴を語らせてもらいますよ。笑
今では音楽がない生活なんて考えられない僕だけど
僕の小~中学生時代の音楽の評価は、5段階評価で「2」。
はっきり言って、僕自身はもちろん
両親だって、僕に音楽の才能なんてないと思ってたみたい。笑
僕がギターを持って歌いだしたばかりの頃
家で歌っている僕を見て、母親は「この子、ほんとうに歌下手だな…」と思ったらしい。
身内にそう思われるくらいだから、余程下手だったんだろうね。笑
そもそも子供の頃は音楽に興味がなかったし、CDもほとんど買った事がなかったんだよね。
当時、持ってたCDって
「ドラゴンボールZ」のオープングテーマとか
「幽々白書」のエンディングテーマとか
好きなアニメのものばっかだった。
流行りの音楽も分かんないから
遠足のバスや、学校の昼休みに流れてたヒット曲のタイトルも分からなかったし。
スピッツやミスチルを聞いても
「いつも遠足のバスで流れてる曲だなー。」
って思ってた。
カラオケも、ほとんど親戚の集まりで行くくらいしかなかったし
本当に音楽に関心がなかったんだよね。
だから
子供の頃は、自分が音楽を仕事にしようと思うなんて考えもしなかったし
周りの人だって、同じように思ってたと思う。
とにかく不器用な子供だったから
ミニ四駆とか、プラモデルも自分1人じゃ作れなかったし
勉強も得意じゃないし、運動も苦手だったんだよね。
人と話すのは好きだけど、照れくさくてうまくできなかったし
ほんとに仲良い人以外と話す時は、もじもじしてた。
…自分で書いてて思うけど、パッとしない子供だなぁ。笑
(小学生時代。よわよわしい。笑)
そんなんだから、いじめられもしたしね。
僕が小学校3~4年生くらいの時
NIKEのAIR MAXってスニーカーが爆発的にヒットしたんだけど
そのスニーカーを一緒に買いに行った友達に壊されたり。
クラスの男子が、バレンタインデーに
僕が好きだった子の名前を偽って
家に電話をかけてきたり。
今は笑い話だけど
振り返ってみるとなかなか陰湿ないじめだね。笑
まーそれでも、それなりに友達もいたし
平凡な少年時代を過ごしてたんだよ。
家庭の崩壊、笑うことのない日々
「俺、仕事辞めることにした。」
そんな平凡な僕の人生が変わったのは
僕が小学校を卒業する頃だった。
ある日、夕食の準備をする母親に1本の電話がかかってきて。
父親からの電話だった。
タクシー会社に勤めていた僕の父親は
この頃、有名大学の教授の運転手をしていた。
教授は父親の事をすごく気に入ってくれてたみたいだけど
会社と大学側が契約金の問題で、契約を解除される事になったんだ。
給料も結構もらってたみたいだし、それ以外にもチップをもらったり
教授の家に、父親用の部屋を用意してもらってたり
かなり待遇がよかったんだよね。
なのに、家にはそこまでお金を入れないで
飲み歩いて、相当遊んでたみたい。
で
その教授の担当を降りる事になった事が気に入らないからって
たったそれだけの理由で、急に仕事を辞めてきた。
書いてて思うけど、めちゃくちゃな話でしょ。笑
うちの父親は
普段は温厚だけど、1回言い出すと聞かない人だから
それを分かってる母親も、承諾するしかなかったみたい。
その後
父親は他のタクシー会社に再就職するんだけど
当然、前ほど給料は良くないし、チップや自分の部屋もない。
そんな良い待遇なわけがない。
で
また会社を辞めてきて、別の会社に雇ってもらって。
そんな事を何度か繰り返してた。
教授の担当の時があまりにも良い待遇だったから
普通の待遇じゃ満足できなかったんだろうね。
それが原因で、僕の父親は鬱病になって
毎日毎日、ベランダに出ては
マンションの上から下を見下ろして
「もうなにもかも終わりだ…。死にたい…。」
って
死んだ目をしてつぶやいてた。
僕は
「本当に死んじゃったらどうしよう。」
って
すごく心配だったし、そんな父親がなんだか怖かった。
それに
ロクに仕事も行かないくせに、家でお酒を飲んでばっかで。
もうさ、まともな状態じゃないよね。
そんな中、中学生になった僕は
中学1年生の夏休み明けには、学校に行けなくなっていて。
そう。この頃から増えだした「不登校」ってやつね。
いじめや、学校に馴染めず、学校に行けなくなる子も多かったけど
僕の場合は、父親が鬱病になってから、家庭が荒れすぎて
心が疲れ果てて、学校に行く気力がなくなった事が理由だった。
両親は「学校に行ってほしい。」と思ってたし
僕自身も行けるものなら行きたかったけど
鬱病の父と暮らす事だけで、僕の心はもう限界だった。
だってさ
毎日毎日、自分の父親が「死にたい。」って言ってるんだよ?
そんな姿を見てたら、こっちもおかしくなるでしょ。
なにもかもが嫌になったし、学校に行こうなんて思えなかった。
楽しく誰かと話せる余裕なんてなかった。
僕は学校にも行かず
昼間は家で寝てるか、ネットサーフィン。
真夜中に自転車で家を出て、片道30キロ以上かけて羽田空港まで自転車を走らせてさ。
そこで朝日と飛び立つ飛行機を見て
みんなが学校に行く時間くらいに、満足して帰ってくるっていう。笑
そんな昼夜逆転生活を送っていた。
学校に行かないで好き勝手やっている僕に
苛立つ父親と、毎日の様に喧嘩してた。
「学校に行け!」
「仕事しろよ!」
そんな言い合いを何度もした。
ある日、学校に行く時間になっても部屋で寝ていた時
「起きろ。」
って言われて
いきなり、父親に包丁を向けられた事もあった。
包丁なんて向けられた事ないから
さすがにこの時は
「あ…これ、俺死ぬな。」
って思った。
実際に刺されたわけじゃないけど
身動き1つ取れなかったし
本当に怖かったのを覚えてる。
父親はそんな状態だし、僕は思春期真っ只中で反抗期。
毎日のように、僕と父親は衝突してた。
そんな僕らを見て、母親はいつも泣いていた。
旦那がいきなり仕事を辞めて鬱病になって、息子は学校に行かなくなってしまった。
家の中は、物が散乱してぐちゃぐちゃだし
殴り合いの喧嘩をしてるから、壁は穴だらけだしさ。笑
そりゃ母親も精神的に不安定になるよね。
(家族みんなで笑いあえてた頃)
ほんとに怒鳴り声か、泣き声しか聞こえない家だった。
この頃、家族で笑いあった記憶なんて1つもない。
そうやって
平凡でもしあわせだった、僕ら家族は
めちゃくちゃになっていった。
そんな家庭環境だったから
僕も心が荒みきっていて
久しぶりに学校に行った時、先生に
「飯田くん、目つきが鋭くなったね…。」
って言われたのを覚えている。
人って精神状況で顔つきまで変わるんだよね。
(当時の写真。目つきが鋭い。)
学校にはたまに保健室登校とか、視聴覚室登校とかしてたけど
教室に通う事はほとんどなかった。
顔も名前もほとんど知らないクラスメイトや、久しぶりに会う友達と
どんな顔をして会っていいのか、何を話していいのかも分からなかった。
だってそうだよね。
共通の話題が何1つないんだから。
中学3年生の時、担任の先生に職員室に呼び出されて
「いつまでもお父さんのせいにして逃げてるんじゃないよ!」
って怒鳴りつけられた事がある。
何も分かってない先生にこんな事を言われたのが、本当に悔しかったし
先生からのプレッシャーが、とても息苦しく感じた。
それでも自分に自信がないから、何も言い返せなくて。
この頃の僕は
「こんな中学校、はやく卒業したい。」
って毎日の様に思ってた。
結局そのまま
学校にはほとんど通う事はなく
中学校を卒業。
中学生活3年間の間、通ったのはトータルしても半年ちょっとくらい。
ほぼ行ってないのと同じだよね。笑
ZONEとの出会い、そして初めてのアルバイト
学校を卒業して
「学校に行かなきゃならない。」
という呪縛から解き放たれた僕は
中学卒業からしばらくの間、本当に好き勝手過ごしてた。
でも
その内、自分と同い年の人たちと、自分の現状との差に悩むようになってきて。
そりゃそうだよね。
普通は高校に進学するとか、就職とかバイトしてんだからさ。
だけど、当時の僕はまったく自分に自信がなかったから
「このままじゃいけないのは分かってるけど、何をするにも自信がない…。
中卒だし、こんなやつ誰も雇ってもくれるわけない…。」
そうやって毎日悩んで、苦しんでた。
コンビニで求人誌を読んだり
街中で求人の張り紙見たりしてたけど
自信がなくて、応募する事すらできなかった。
今振り返っても、本当に毎日悩んで苦しんでたなぁって思うよ。
そんな時に、ふと見たTVで僕と同い年くらいの女の子達が歌っていた。
真っ白な雪の中で歌っていた、彼女達は
北海道札幌発の「ZONE(ゾーン)」っていうガールズバンドだった。
まっすぐに歌う姿に惹きつけられた。
自分と違って、一生懸命に夢に向かってる姿がすごく輝いて見えたんだよね。
あと、単純にかわいかった。笑
それから、彼女達の事が気になってきて
ちょっと調べたら、ZONEのメンバーって自分と同年代でさ。
彼女達は札幌から東京に来て、一生懸命に頑張っているわけですよ。
それに比べて僕なんて、働きもせず
好き勝手な時間に寝て、起きて
ネットサーフィンと自転車乗り回してるだけ。笑
そんな何もできない、何もしてない自分がすごく恥ずかしかったし、変えたかった。
「自分も何かを始めなきゃ…!」
そう思ったんだ。
僕は、中学に行かない間
家の近所にある、母親の職場の地下にあった喫茶店によく通ってて。
母親のお昼休みに、一緒にその喫茶店でお昼ご飯を食べてたんだよね。
中学を卒業した後も、相変わらず通ってて。
なんでかって
その喫茶店のエビグラタンが最高においしくて、大好きだったんだ。
1人で2~3人前食べてたからね。笑
この喫茶店は、エビグラタン以外にも好きなとこがあって。
それは店員さんの人柄だったんだよね。
まず、この喫茶店のマスターが
雰囲気で言うと、マリオみたいな感じの
50代くらいのおじさんなんだけど
ふらっと近づいてきて、自分の話したい事だけ話したら
人の話も聞かないで離れていく人なのね。
でも、なんか憎めない人でさ。笑
あと、副店長さんが
ちょっと丸めの体系で、強きなおばさんなんだけど
人情に厚い人でさ。
ちょっと怖いけど、優しくて
なんか「お母ちゃん」って感じの人なのね。
で
ある日、僕がいつもと同じように
エビグラタンを食べていたら
副店長のおばちゃんが近づいてきて
「お兄ちゃん、今なにもしてないんでしょ?
人手が足りなくて困ってるから、ウチで働きなさいよ。」
って言ってくれたんだよ。
ほんとにいきなりの事で、すごく戸惑ったけど
そんな時、ZONEの「GOOD DAYS」っていう曲の1フレーズが、頭の中で流れたんだ。
“行動始めてみようよ 自分の中に秘めたStory”
すごく背中を押された気がしたんだよね。
「僕でいいんですか…?よ、よろしくお願いします!」
初めてのアルバイトで不安だったけど
これはチャンスなんだと思った。
(当時、通っていた喫茶店)
それから僕は、その喫茶店で
人生で初めてのアルバイトを始めた。
この頃からZONEに影響されて、ギターも始めたんだよ。
もともと家に安いギターがあったんだけど
それじゃ満足できなくて、アルバイトで稼いだお金で新しいギターも買った。
初めて自分で稼いだお金で買ったこのギターは、今でも大事に持ってる。
(はじめてのアルバイトで買ったギター。約13万円。)
でもね
最初はただの暇つぶしだった。
なんとなく好きな曲を弾いたり
不器用なくせに、プラモデル感覚で
自分でギターの塗装剥がしてたりしてたからね。笑
最初はそんな事ばっかりしてた。
そんな僕が、なんで本格的に音楽を始める事になったかって言うと
ちょっと話が長くなるんだけど。笑
ミュージシャンとしての生き方を決めた、運命の出会い
当時、僕には
「2ちゃんねる」っていう掲示板サイトを通じて、ZONE好きで知り合った、S くんっていう友達がいて。
彼は僕の2個上で、都内の某有名大学に通っている大学生。
当たり前だけど
勉強なんてほとんどしてこなかった、中卒の僕とは
まったく学力が違うんだよ。
僕は人生初のアルバイトを始めた事で
「なにも行動できない自分」
っていうコンプレックスは克服できた。
「自分の力でお金を稼ぐ事ができた」
って事が、大きな自信に繋がったんだと思う。
でも、今度は
「勉強ができない自分」
にコンプレックスを抱いてたんだよね。
同い年の友達は、みんな高校に通ってて
勉強の話になると、まったくついていけなかったし
学歴うんぬんより、勉強ができない自分が嫌だった。
だけど
やっぱり中学校で嫌な思い出しかなかったから
「学校」
ってものにどうしても行きたくなくて。
それで
大学入試検定(大検)っていう試験を受ける事にしたの。
この大検っていうのがどんなものか、簡単に説明すると
この試験に受かると、国から高卒と同レベルの学力があるって認められるのね。
高校を卒業してなくても、大学を受験できる資格が得られるんだ。
ま、僕は大学に行きたかったからじゃなくて
「自分だってちゃんと勉強できるんだ!」
って
自分に自信を持ちたかっただけなんだけどね。笑
でさ
自分なりに勉強したんだよ。
本屋さん行って、過去問集とか買ってさ。
毎日、バイトの後に過去問を解いて。
どうしても受かりたかったから、がんばったよ。
この時が、人生で1番勉強したと思う。笑
それでも、数学だけは全然理解ができなくて。
そんな時、僕に数学を教えてくれたのがSくんだった。
週に1回くらい、休日のお昼にファミレスに集合してさ。
2~3時間かけて、丁寧に教えてくれたなぁ。
しかも
数学に対して
中学1年生レベルの理解度しかないやつにだよ?
大変だったと思うよ。笑
それから半年後くらいかな。
おかげで僕は、大検に合格できたんだよね。
そんなSくんが
2004年の春のある日
「お前と絶対に話が合うと思う奴がいてさ。
そいつも音楽好きだし、ギター弾くんだよ。
絶対にお前に会わせたいんだ!」
って言われて、その友達の友達を紹介されたんだ。
その時の事、すごくよく覚えてるんだけど
夜桜が舞ってる、池袋の公園で
「俺の大学の友達、渡辺貴志くんっていうんだ!」
友達に紹介された彼は、僕の2個上で
すごくシュッとしてて、イケメンな雰囲気でさ。
「絶対モテるな、この人。」
って思った。笑
話を聞いたら、彼は
大学でバンドを組んで、本格的に音楽活動をしているギタリストだった。
でさ
「どんなギター持ってるのー?」
とか
「どういう音楽好き?」
とか
音楽の話で盛り上がってさ。
初めて会ったっていうのに
だいぶ遅くまでお酒を飲んで、話し込んだ。笑
それから一週間も経たない内に、彼から電話がかかってきて。
「今なにしてる?これから会わない?」
って。
2回目に会う時は、もう2人で会ってた。
仲良くなりすぎだよね。笑
それから僕らは
毎日のようにお酒を飲み交わし、恋人のごとく長電話をして
本当に気持ち悪いくらいに、いつも一緒にいた。
誤解されないように言っとくけど
そういう関係じゃないからね。笑
でね
「今度、俺のバンドのライブがあるから、遊びに来なよー!」
って誘われて
そのバンドのライブを観に行ったんだよ。
会場は
「西荻窪TURNING(ターニング)」
っていう、ライブハウス。
当時の僕は、ライブハウスなんてほとんど行った事ないし
西荻窪って駅で降りるのも、はじめてだったのね。
(西荻窪TURNING)
蒸し暑い、夏の夕暮れ時。
僕はソワソワしながら、知らない商店街を歩いて
会場のライブハウスに向かったのを覚えてる。
会場に辿り着いて、地下への階段を降りる。
この時、もう緊張がすごくて。
「どこに続いてるんだ?この階段…。」
って思いながら、階段を降りていったっけ。笑
そして
彼らのライブが始まってすぐに
「うわぁ…!すげぇ!!」
って思った。
言葉では表せないくらいの、衝撃だった。
いつも一緒にお酒飲んてで騒いでる奴なのに
ステージに上がってると、すごいカッコ良く見えたんだよね。
不思議なくらい。笑
彼よりもさらにカッコ良かったのが、そのバンドのギターボーカルのK君だった。
ギターボーカルのK君は
透明感のある歌声で
ギターも繊細な弾き方をしていて、かなり上手いし
決して派手じゃないのに、すごく存在感があって
一目見て、ファンになったんだ。
そのくらいカッコ良かったし、惹きつけられた。
僕は、K君に憧れて
その日から、1回も欠かさず
彼らのライブに足を運んだ。
打ち上げとか、ライブの帰り道で
K君と話せるのが本当にうれしかったなぁ。
友達のやってるバンドだからとか関係なくて
もうただのファンだったよ。完全に。笑
「この人みたいになりたい。」
そう思った。
歌い方とか、ギターの弾き方、とにかく影響を受けまくった。
で
ようやく本題に入るけど。笑
あれは忘れもしない、2005年の冬、下北沢のローソンの前の出来事。
彼らのライブの前に、コンビニに買い出しに来てた時
K君から
「みずくん(僕)も曲作ってるなら、ライブしてみなよ!」
って言われた事がきっかけだったんだ。
「え…?いやいや!俺はライブなんてできないよ!」
って言ったんだけど
「そんな事言ってたら、一生ライブなんてできないって!
最初はみんなそう思ってるもんだよ?俺だってそうだったよ。
だから、みずくんもやってみなよ!ライブハウスは紹介するから!」
って言われてさ。
それでも自信がないから
「いやいや…無理だって…。」
とか言ってたんだけど
「だったらTちゃんと一緒にやればいいじゃん!」
ってゴリ押しされまして。笑
ちなみに、Tちゃんっていうのは
僕の親友のギタリストである渡辺貴志と、Kくんの高校時代の同級生。
Tちゃんとか言ってるけど、立派な男子ね。笑
彼はちょっと小柄で、マッシュルームカットが印象的な
ギターと音楽が好きな
人当たりの良い青年だった。
Tちゃんとは、Kくんのバンドのライブで初めて会ってさ。
彼もこのバンドが好きだったし、渡辺やKくんとも仲良いから
僕が彼らのライブ通う内に、自然と仲良くなったんだよね。
家も近所だったし、しょっちゅう飲んでたなぁ。笑
まーとにかくよ。
僕がライブをやる自信がまったくなくたって
憧れの人からここまで言われたら、やるしかないでしょ?笑
今思えば
これが、僕の生き方が決まった瞬間だったんだ。
手足が震えた、人生初ライブ
(「Natural reverb(ナチュラルリバーブ)」というバンドで、僕らは初ライブを行った)
そして
2006年、5月21日。
僕がKくんを初めて観た
「西荻窪TURNING」
というライブハウスで
僕とTちゃんは
人生初のライブを経験した。
たった数10センチの高さのステージなのに
上がってみたら、とてつもなく高い所にいるみたいな気持ちになってさ。
お客さんの視線がこわいこわい。笑
自分が憧れのKくんと同じステージに立ってる
っていうのも、信じられなかった。
もうさ
MCは噛み噛みだし、手足は勝手に震えて止まらないし
人ってこんなに緊張できるもんなんだって思ったよ。
それでもなんとか
人生初ライブをやりきった。
ライブ後に、お客さんに配ったアンケートには
・とても楽しそうに演奏していて、観てる方も楽しくなりました!
・元気一杯でよかった!初ライブにしては上出来だと思います!
っていう、ありがたい意見もあったけど
・曲はいいけど、歌が…。もっと頑張ってください。
・歌をもっと練習した方がいい。
そういう意見もあった。
もともと、僕は歌が得意な方ではなかったけど
それでも、本番に向けて本気で練習してきたから
歌がダメだって言われて、とても悔しくて。
もっと歌が上手くなりたいと思った。
自分だけじゃ、どうしたら歌が上手くなるかわからないから
それから僕は、ボイストレーニングに通う事にしたんだ。
インターネットで調べて、やさしそうな先生を選んだ。
怒られるのとか怖かったし。笑
週に1回、ボイストレーニングに通っていたら
不思議なくらい、どんどん自分の歌声が変わっていった。
「自分の歌声に自信がない…。」
そう思ってた僕だけど、少しずつ自分の歌声が好きになってきたんだよね。
この歌声も悪くないなって。笑
そうやって自分の歌声が好きになってきて
ライブを何度かやるうちに、どんどん音楽が楽しくなってきて。
最初はライブをする事に全然乗り気じゃなかった
僕だったけど
本格的に音楽の世界に飛び込んでいく事になる。
ライブハウスに通う毎日。
たくさんのミュージシャン仲間もできた。
ライブハウスに行けば、誰か友達がいてさ。
四六時中、音楽の事ばっかり考えてたし
音楽関連の雑誌やサイトを読み漁って、知らない音楽を調べてさ
給料日には中古のCDをたくさん買って、自分の中に新しい音楽を取り入れてた。
人のライブも積極的に観に行ったし、そこから歌やギターについても一生懸命学んだ。
憧れのミュージシャンと自分を比べて「自分とは何が違うのか?」必死に考えた。
そうやって自分なりに試行錯誤して、自分の技術、感性を磨いてたなぁ。
とにかく僕は、夢中になって音楽に没頭した。
毎日が辛くてしかたなかった、中学時代。
これからどうしていいか分からなかった、中学卒業後。
そんな今までの人生とは比べ物にならないくらい
毎日が楽しくてしかたなかったんだ。
初めて見るもの、聞く曲、知ること。
すべてが新鮮で、輝いてた。
ギター2本での可能性を探求するバンド「mizu+」結成
2010年、9月。
親友のギタリスト、渡辺貴志と
アコースティックギターとエレキギターの2ピースバンド
「mizu+(ミズプラス)」を結成。
なんでmizu+っていうバンド名になったかっていうと
僕のあだ名の「みず(mizu)」に渡辺が加わる(+)から
このバンド名になった。
ちなみに「みず」の由来は
昔、僕がインターネット上で使っていた名前なんだよね。
そうしたら、いつの間にか日常でもこの名前で呼ばれるようになってた。笑
僕らは
ギター2本でどこまでできるか?
をテーマに
東京都内を中心に、不定期に何度かライブを行った。
そのあと、2013年あたりから
僕1人の活動よりも、mizu+として
2人での活動が中心になっていったんだよね。
この辺りから僕は
「音楽で食べて生きたい。」
と本気で思うようになる。
20代半ばを過ぎて、そろそろ本気で自分の人生を考えようと思ったんだよ。
まぁ…普通はもっと早くこういう事を考えるんだろうけど。笑
それまでは、音楽活動を続けてきて
「いつかプロになれたらいいなー。」
くらいのぼんやりとしたイメージしかもってなかったけど
自分のこれからの人生を本気で考えた結果、僕には音楽しかないと思ったの。
だって
他にやりたい事もないし、自分が一生懸命になれる事が他にはなかったからね。
「普通に就職して働く自分」
っていうのも想像つかなかったし、それは自分がやる事じゃないなーって。
「音楽で食べていく。」
って決意をするのは勇気がいる事だったし、不安もあったよ。
でもさ
やりたい事をやらないのは、自分に嘘をつく事になるなと思った。
そんな人生は嫌だと思ったんだよ。
今、自分にやれる事を、一生懸命やろうって決めた。
そして
僕達、mizu+は
2013年9月に1st single「赤いカーディガン」で
iTunesを始めとする、音楽配信サイトで全国配信デビュー。
これで全国どこの人でも、僕らの音楽をダウンロードして聞いてもらえるようになった。
2ヶ月後の11月には2nd single「27歳」をリリース。
今、振り返ると
この頃、かなり精力的に活動してたなと思う。
僕達2人で作る音楽を、どうにか世の中の人に届けたかったんだ。
僕達は
「とにかくやれる事は自分達でやってみよう!」っていう気持ちで
レコーディングや、MV(ミュージックビデオ)の制作なんかも自分達でやったんだよね。
それまでそんな事、ほとんどやった事もなかったくせに。笑
「レコーディングってどうやったらいいのか?機材は何が必要なのか?」
とか
「MV撮るためには、最初は何から始めたらいいんだろ?どこで撮影するの?」
とか
全部1から調べて、学んでさ。
なかなか無茶やったなぁって思う。笑
でも
こういうチャレンジ精神は
とっても大事だなって、今でも思うんだ。
(知識もないのに、MVも自分達で作っていた。)
2015年、バンド名を「mizu plus」に改名。
音源や映像作品を作りながら、都内でのライブ以外にも
年に数回の札幌ツアー、浜松や群馬とかにも遠征ライブをしに行ったり
一生懸命に活動してたなぁ。
ソロ活動開始、そして全国へ
2015年、夏。
mizu plusの、札幌でのライブツアーの最終日。
ホテルに戻って、2人で打ち上げをしていた時に
いきなり渡辺が
「俺達、どっちかが結婚したりとか
子供ができたりしても
一生、mizu plusは続けような。」
って。
「ん?こいつが熱い事語るなんてめずらしいな。」
って思ってた。
(mizu plusの札幌でのライブ。お客さんに恵まれ、盛況に終わる。)
翌日、東京に着いてから
帰りの電車内で
「あのさ…実は俺、結婚するんだ。」
という、衝撃の告白をされる。
僕は
「おめでとう」
という気持ちと
「これからどうしよう」
という気持ちに挟まれていた。
そして
mizu plusの相方、渡辺が結婚。
それを期に、2人での活動は少し抑えめになった。
まぁ、そりゃそうだよね。笑
でもさ
mizu plusが活動できないからって、僕は音楽活動を辞める気にはなれなくて。
「1人でしっかり活動しよう。」
そう決めた。
そして
2016年、1月。
ソロアーティスト「飯田正樹」としての活動を開始。
それと同時に
日本全国でライブをやる事を、ファンに向けて宣言した。
…とか書くと
だいぶカッコ良い感じだけど
発表した時点では
どこを周るのかとか、どれくらいの期間やるのかとか
まだ何も決まってなかったんだよね。笑
でも
「宣言したからにはやるしかない!」
って
自分を追い詰めた。
追い詰められないと、頑張れない気がしてた。
僕は、1年間で
札幌、帯広、埼玉、小田原、浜松、大阪、福岡
など、全国各地でライブを決行!
あれ…
全国周りきってない!笑
まぁまぁ
これからやりますから!!
音楽を仕事にするため、必要なものを探して
とにかく
こうやって全国色んな所を周っていたら
僕の活動を応援してくれるファンの人は少しずつ増えてきた。
「また必ず歌いにきてください!」
「飯田くんの歌が大好きだよ!」
こんな言葉もたくさんもらった。
ありがたい事だよね、本当に。
本当に音楽をやってきて良かったと思う瞬間は、何度もあったよ。
ファンの人が増えて、ライブに来てくれたり、CDやグッズを買ってもらえたりして
音楽でお金をいただける事は、本当にありがたい事だと思ってる。
でも
それだけじゃ音楽だけで生活していく事はできなかった。
バイトもしなきゃ生活していけないし
いつまでこの生活を続けていくのか、不安になる事もあったよ。
「いつになったら、音楽だけで生活できるんだろう…。」
って。
10年近く音楽をやってきて、たくさんの事を経験した。
何も知らないで始めた、レコーディングやMV撮影。
iTunesを始めとする音楽配信サイトでの、曲の全国配信。
そして、日本全国を周るライブツアー。
こうやって今まで頑張ってきた事は、1つも無駄じゃないけど
「音楽だけで生活していくためには、今までとは何かを変えなきゃいけない。」
漠然とそう思った。
あのね
僕はずっと音楽を仕事にしたいと思ってはいたけど
メジャーデビューとか目指してなくて。
これを人に話すと
「え?音楽を仕事にしたいんだよね?」
って言われるけど。笑
自分1人の力でお客さんを集めて、商品を販売して、生計を経てる。
そういう今までにない自由なスタイルで、音楽を仕事にしたいんだよ。
1人で活動するようになって、やっぱりこの形で音楽を仕事にしようって思った。
僕は
「ミュージシャンは音楽だけ作ってればいい。」
とは思わなくて。
僕がやりたい形っていうのは
個人経営のお店みたいに、自分で集客も運営もやっていきたい。
今の時代、TVやラジオに出なくたって、自分を知ってもらう手段はいくらでもあるしね。
僕は
「とにかく、もっとたくさんの人に自分を知ってもらわないといけない。」
ずっとそう思ってた。
どうやったら人を集める事ができるのか。
真剣に考えたよ。
今までみたいにライブを繰り返してるだけじゃ、なかなか多くの人には知ってもらえない。
じゃあ、どうやったらたくさんの人に知ってもらえるんだろ?
そんな時に思ったのが
「音楽を始めたばかりの頃、インターネットで色んな人のサイトを見て、必死に勉強したなぁ。
だったら
自分の音楽知識を詰め込んだサイトを作れば、僕も色んな人に知ってもらえるんじゃないか?」
って思ったんだ。
だったら
自分が持ってる音楽知識のすべてを
インターネット上に載せて、たくさんの人に見てもらおうと思った。
「シンガーソングライター 飯田正樹の音楽知識のすべて」開設
2017年、11月
このサイト
「シンガーソングライター 飯田正樹の音楽知識のすべて」
を開設。
最初はね
文章なんて書きなれてないし、たった100文字書くのも大変だったよ。笑
書きたい事は山ほどあるけど、どう書いていいか分からなくて
「俺、こういうの向いてないのかもぁ…。」
って本気で落ち込んだ事も、何度もある。
人に何かを伝える事の難しさにも、改めて気付いた。
でもね
諦めないで、正しい努力の仕方をすれば
努力は絶対に自分を裏切らないものだと思うんだ。
諦めなかったからこそ、今こうしてこれを読んでくれている
あなたとも出会えたしね。
音楽って本当に楽しいものだし、誰でも気軽に始められるものだと思うんだよ。
音楽は魔法じゃないけど、人生を豊かにしてくれる素敵なものだと思ってる。
このサイトや、自分の音楽を通して
そういう事も伝えていきたいと思ってます!
父との別れ、自分の生き方を見つめ直す
2019年、お父さんが亡くなった。
僕のお父さんは、パーキンソン病という病気とずっと戦っていた。
亡くなった事はとても悲しかったけど
「ようやく楽になれたのかな。」
とも思った。
そしてこれは、僕が自分の人生、生き方を見つめ直す
大事な機会になったと思う。
「いつか終わりが来てしまうなら
本気で自分が好きな事をやろう。」と思った。
お父さんとの最後の数ヶ月は、毎日、病院に行っていたんだけど
そんなある時に
「今、音楽でお仕事もらえるように頑張っているんだよ。」
という話をしたら
「…うまくいくといいね…。」
って、声を絞り出して言ってくれた。
僕が絶対に諦めないで音楽を続けられているのは
お父さんのこの言葉のおかげだと思っているんだ。
自分の歌に自信を持つために
2020年、人生二度目のボイストレーニングを受け始める。
音楽を始めてから、ずっと歌を歌ってきたけど
正直な話、僕は
自分の歌にそこまで自信は持てていなかった。
まぁ、元々が歌う人がいなかったから
自分で歌い始めただけだからね。笑
でも、ライブやレコーディングをやればやるほど
「自分の歌に自信を持ちたい!」
って思う事が増えたんだよね。
で、ボイトレを始めよう!ってなったわけ。
習い事って、先生との相性がすごく重要だと思うんだけど
最高に相性の良い、ボイストレーニングの先生と出会えたんだ。
このボイトレの先生には
呼吸の仕方、声の響かせ方はもちろん
プラス思考や、物事の考え方まで、色々と学ばせてもらった。
僕は対人運がとても良いんだけど
こういう人達と出会える事、本当にありがたいなと思うよ。
Popinx Music Studio開業
2021年、音楽スクール「Popinx Music Studio(ポピンクスミュージックスタジオ)」を開業。
(友人のナガイケンタロウくんが作ってくれたロゴ)
「音楽を仕事にしたい!」
そう思ってから、色んな事を学んで、行動してきたんだけど
ようやく開業する所まで来れた!
「ついに開業届を出すのか…!」
って、達成感があったのを覚えてる。
まさか、こんな日が来るなんて。
最初の生徒さんが入ってくれた時
「やったー!!」
って一人で叫ぶくらいに嬉しかったなぁ。
「本気で取り組めば、色んな事が動き出すんだ」って
そういう事を知れたのは、Popinx Music Studioを始められた事が大きかったと思う。
ギタリストとしての活動、”Everyday Guitar”をスタート
2021年より、ギタリストとしての活動を開始。
様々なアーティストのサポート、セッションでの演奏に参加するようになる。
今までずっとギターを弾いてきたわけだけど
あんまり、”ギタリスト”っていう感じでやってこなかったんだよね。
こんなにギター好きなのに。笑
あくまで、自分の歌の為のギターだった。
でも、「ギタリストとしてもしっかり活動したい!」
という気持ちが、どこかにずっとあったのかも。
「ギターをちゃんとやりたい!」と思って
はじめて人に習いに行き始めたんだよね。
その先生のひょんな一言から
2022年1月から、”Everyday Guitar”という企画名で
SNS上で毎日ギターの演奏動画を投稿を始めた。
(エブギの投稿は、今では毎日のルーティーンになっている)
最初は
「毎日なんてキツすぎる…。」
と思ったものの、いざやり始めると
やらない方が気持ちが悪くて、今のところ3年くらい続いている。笑
人間が本気で行動を始めてみるっていう事は、すごい可能性を秘めていて
“Everyday Guitar(通称エブギ)”を始めてから
ギターでのお仕事を頂けるようになってきた。
ギタリストとしてのお仕事を自分が受けられる日がくるなんて
昔はまったく思っていなかった。
だって、「自分はシンガーソングライター」だと思っていたからね。
やっぱり、本気になった人間の行動の力ってすごいなと思うんだよね。
セッションへの参加、たくさんの人との出会い
ギターを習い始めて1年くらい経った時に
「今度、僕のセッションイベントあるんで、遊びに来てくださいよ。」
ってギターの先生に誘われて。
最初は
「面白そうだけど、セッションとか怖い…。」
って思っていた。
だって、アドリブで何弾いていいか分からないし
セッション定番曲って言われても、曲も弾き方も分からないし。
そりゃ、怖いに決まってるよね。笑
最初のセッションでは、めちゃめちゃ緊張したのを覚えてる。
でも、こういうのも数を重ねていけば
だんだんと慣れていくもので
今では月に一度、大塚LIVE × BAR ○というお店で
セッションイベントも開かせて頂いているんだ。
セッションを始めて、一番良かったと思う事は
色んな人との出会いだなと思う。
(セッションで友達になれた人はたくさん!)
セッションって面白くてさ。
初めて会った人とも、一緒に音を出すだけで
一気に仲良くなれるんだよね。
おかげでたくさん友達が出来た!
これは、「何よりもの財産だなぁ!」と思うよ。
ドラムを習い始め、EveryたいDrumsを開始
2023年、6月からドラムを習い始める。
ギタリストとしての活動を始めて、今までよりもっと音楽が好きになった僕は
「昔から興味があったし、ドラムをやってみよう!」
と思って、今度はドラムを習い始める。
「いやいや、色んなものに手を出しすぎだろ!」
と自分でも思う。
でも、興味があるものは全部やりたいんだよね。
そして、どうせやるなら本気でやりたいから
今度は、ドラムの毎日演奏動画投稿企画
“EveryたいDrums(通称、エブドラ)”
を始める。
(エブドラの投稿も、毎日のルーティーン)
しかも
“2023年6月からドラムを始めた初心者が
3年後までに仕事を受けられるようになるまでの記録”
とか書いちゃって。
まーでも、僕みたいな性格の人間は
このくらいの気持ちでやらないと
すぐ怠けちゃうから、ちょうど良いのかなとも思ってる。
新しい挑戦、出会い
色々と新しい事を始めるのが好きな僕だけど
2024年は今まで以上に色んな新しい挑戦、出会いがあって。
コミュニティバンド「George51°(ジョージゴジュウイチ)」にギタリスト、バンドマスターとして加入。
セッションチーム「CRUISE(クルーズ)」への参加。
AIを使った和風Lofi音楽チャンネル「Sakura Lofi Lounge」を開設。
AIを使った都会的なバッキングトラックチャンネル「TOKYO FUNK & LOFI BEATS」を開設。
飯田正樹ファンクラブ「Good day club」開設。
店舗のオリジナルBGM制作サービス「Caramel Sound」を開始。
素敵なご縁のおかげで、ちょっと多すぎなくらい
色んな事に挑戦しているんだ。
でも、まだまだ挑戦したいし
やりたい事もいっぱいある!
自分がやりたいと思う事に対しては
欲張りで良いと思うんだよね。
これからも、ワクワクしながら
色んな事に挑戦していきたいと思っています!