飯田 正樹(いいだ まさき)
東京都板橋区出身のシンガーソングライター。
1985年 11月6日
地震で病院内がざわめく中
陣痛に耐える母。
深夜1時9分
出産予定日より大幅に遅れたため、帝王切開を経て
タクシー運転手の父、公務員の母の間に産まれる。
父・正照の「正」と
母・きみ子の「き」からとって
「正樹」と名付けられた。
幼年期は
母が一瞬でも離れると大声で泣き出す
とても手のかかる子供だった。
少年時代は
その不器用さから、1人でプラモデルも完成させる事ができず
夏休みの自由課題なども、母に手伝ってもらっていた。
大人になってからも、その不器用さは加速していき
ダーツが的に刺さらない&ボーリングでもガータ連発など
楽器を演奏できる事が不思議なくらいの
自他共に認める、スーパー不器用人間である。
小学生の頃
欲しかったCDは、アニメのOPテーマやEDテーマばかりで
周りの同級生が話している
流行りの音楽の話にはまったくついていけないほど
音楽には興味はもっておらず
音楽の成績は5段階で「2」だった。
そんな音楽とは縁がなかった男が
2006年、5月
憧れのミュージシャンの勧めで
半ば無理やり音楽活動の世界へと引っ張り込まれ
音楽活動を始める事になる。
それからの10年間
ユニット、バンド、弾き語りなど
様々な形態での活動を経て
2016年より
「飯田正樹」
として
ソロアーティストとしての活動を開始。
北は北海道、南は福岡まで
全国各地でのライブ活動を展開している。
人間味のあるやさしい歌声。
日常を切り取った、様々な表情を持つ楽曲が持ち味。
アコースティックギター1本での表現にこだわりを持ち
多彩な奏法と、エフェクターを駆使した独創的なサウンドで
楽曲の世界観を表現するスタイルは
所為「弾き語り」とは一線を画す。
観客を巻き込んだ、エンターテイメント性溢れるライブパフォーマンスも大きな特徴である。
自身のバンド「mizu plus(ミズプラス)」のミュージックビデオの制作をはじめ
他アーティストの映像作品も制作するなど、映像クリエイターとしての顔も持つ。
また、自らが1つ1つペイントを施した
トートバッグやiPhoneケースなどのオリジナルグッズも製作している。
「札幌へ帰る」と表現したり
年に数回の札幌ツアーを行ったり
札幌のヘアサロンで髪の毛を切るなど
「札幌は心のふるさと」
と断言するほどの、札幌フリーク。
好きなものは
・ギター(好きなメーカーはアコギならMartin、エレキならFender)
・ビール(スーパードライ)
・レモンサワー(やっぱりこれ)
・らーめん(札幌の味噌らーめん大好き)
・旅(主に札幌)
・スニーカー(NIKEからReebokまでなんでも)
・時計(最近、チープカシオが熱い)
・映画館(週に1回は通ってる)
・自転車(好きなメーカーはTREK)
・スティッチ(最高にかわいい)
あだ名は
・みず(昔のハンドルネーム)
・みずちゃん(同上)
・どんちゃん (バンドの相方が「どんぐりみたいだから!」と名づけた)
・どんさん(同上)
など。
もくじ
音楽の才能なんてないと思った僕が、音楽活動を始めた理由
こんにちは!
シンガーソングライターの飯田正樹です。
僕のサイト
「シンガーソングライター 飯田正樹の音楽知識のすべて」
を見てくれてる、あなた。
そう!そこのあなたです!
あなた!!笑
まず
このサイトを見てくれて
そして
プロフィールまで見てくれて
ありがとうございます!
プロフィールを見てくれるくらいだからさ
ちょっと僕の音楽歴を語らせてもらいますよ。笑
今では音楽がない生活なんて考えられない僕だけど
僕の小~中学生時代の音楽の評価は、5段階評価で「2」。
はっきり言って、僕自身はもちろん
両親だって、僕に音楽の才能なんてないと思ってたみたい。笑
ライブを始めたのは21歳だけど
僕がはじめてギターを持って、歌いだしたのは16歳くらいの時なんだけど
家で歌っている僕を見て、母親は「この子、ほんとうに歌へただな…」と思ったらしい。
そのくらい、音楽のセンスはなかった。笑
そもそも音楽に興味がなかったし、CDもほとんど買った事がなかったんだよね。
当時、持ってたCDって「ドラゴンボールZ」のOPテーマとか「幽々白書」のEDテーマとか
好きなアニメのものばっかだった。
流行りの音楽も分かんないから
遠足のバスや、学校の昼休みに流れてたヒット曲のタイトルも分からなかった。
スピッツやミスチルを聞いて
「いつも遠足のバスで流れてる曲だなー。」
って思ってた。笑
本当に音楽に興味がなかったんだよね。
だから
子供の頃は、自分が音楽を仕事にしようと思うなんて考えもしなかった。
とにかく不器用な子供だったから(今もだけど。笑)
ミニ四駆とか、プラモデルも自分1人じゃ作れなかったし
勉強も得意じゃないし、運動も苦手だったんだよね。
人と話すのは好きだけど、照れくさくてうまくできなかったし
ほんとに仲良い人以外と話す時は、もじもじしてた。
…自分で書いてて思うけど、パッとしない子供だなぁ。笑
そんなんだから、苛められもしたしね。
僕が小学校3~4年生くらいの時
NIKEのAIR MAXってスニーカーが爆発的にヒットしたんだけど
そのスニーカーを一緒に買いに行った友達に壊されたり。
クラスの男子が、バレンタインデーに
僕が好きだった子の名前を偽って
僕の家に電話をかけてきたり。
なかなか陰湿な苛めだね。笑
まーそれでも、それなりに友達もいたし
平凡な少年時代を過ごしてたんだよ。
そんな平凡な僕の人生が変わったのは
僕が小学校を卒業する頃だった。
ある日、夕食の準備をする母親に1本の電話がかかってきて。
「俺、仕事辞めることにした。」
父親からの電話だった。
急に仕事を辞めてきた。
それを境に、父親は鬱病になって、家庭内がめちゃくちゃになった。
中学生になった僕は
中学1年生の夏休み明けには、学校に行けなくなっていた。
そう。「不登校」ってやつね。
学校にも行かず
昼間は寝てるか、ネットサーフィン。
真夜中に自転車で家を出て、羽田空港まで自転車を走らせる。
そんな昼夜逆転生活を送っていた。
そのまま
学校にはほとんど(3年間で半年ちょっとくらい。)通う事はなく
中学校を卒業。
その後も、特になにをするわけでもなく
それまでと変わらない生活を繰り返してた。
「このままじゃいけないのは分かってるけど、何をするにも自信がない…。」
そうやって悩んでる時に、ふと見たTVで同年代の女の子達が歌っていた。
彼女達は、北海道札幌発の「ZONE(ゾーン)」というガールズバンドだった。
自分と同年代の子達が頑張っている姿を見て
「自分も何かを始めなきゃ…!」
そう思った。
それから僕は、人生で初めてのアルバイトを始めて、ギターを手に取った。
でもね
最初はただの暇つぶしだった。
なんとなく好きな曲を弾いたり、プラモデル感覚でギターの改造をしたり。笑
そんな事ばっかりしてた。
そんな僕が、なんで音楽活動を始める事になったかって言うと
あれは忘れもしない
2005年の冬
下北沢のローソンの前の出来事。
僕の憧れのミュージシャンだった、友達のバンドのボーカルのK君に
「みずくん(僕)も曲作ってるならライブしてみなよ!」
と言われた事がきっかけだったんだ。
憧れの人からそんな事を言われたら、やるしかないでしょう。笑
人生初ライブ
そして
2006年、5月21日。
西荻窪TURNING(ターニング)というライブハウスで
僕は
人生初のライブを経験した。
何度も何度も繰り返して練習して
足が震えながらも、なんとかやりきった初ライブ。
お客さんに配ったアンケートには
「とても楽しそうに演奏していて、観てる方も楽しくなりました!」
「元気一杯でよかった!初ライブにしては上出来だと思います!」
っていう、ありがたい意見もあったけど
「曲はいいけど、歌が…。もっと頑張ってください。」
「歌をもっと練習した方がいい。」
そういう意見もあった。
もともと、僕は歌が得意な方ではなかったけど
それでも、とても悔しくて。
もっと歌が上手くなりたいと思った。
それから僕は、ボイストレーニングに通う事にした。
ここから僕は
本格的に音楽活動の世界に飛び込んでいく事になる。
ライブハウスに通う毎日。
自分が出演する日以外もよく行ってたし、週に2~4回くらいは行ってた。笑
たくさんのミュージシャン仲間もできた。
とにかく夢中になって音楽活動に没頭した。
たくさんCDも聞いたし、歌やギターについても一生懸命学んだ。
そうやって自分なりに試行錯誤して、自分の技術、感性を磨いてたなぁ。
ギター2本での可能性を探求するバンド「mizu+」結成
2010年、9月。
親友のギタリスト、渡辺貴志と
アコースティックギターとエレキギターの2ピースバンド
「mizu+(ミズプラス)」を結成。
ギター2本でどこまでできるか?
をテーマに
東京都内を中心に、不定期に何度かライブを行う。
この頃は、まだソロでの活動が中心で
mizu+での活動はたまにするくらいだったんだよね。
そのあと、2013年あたりから
僕1人の活動よりも、mizu+として
2人での活動が中心になっていった。
「こいつと2人でなら、無限の可能性がある。」
そう思った。
この辺りから僕は
「音楽で食べて生きたい。」
と本気で思うようになる。
そして
僕達、mizu+は
2013年9月に1st single「赤いカーディガン」で全国配信デビュー。
2ヶ月後の11月には2nd single「27歳」をリリース。
僕達は
「とにかくやれる事は自分達でやってみよう!」っていう気持ちで
レコーディング、MV制作なんかも自分達でやったんだよね。
それまでそんな事、ほとんどやった事もなかったくせに。笑
でも、こういうチャレンジ精神は
とっても大事だなって、今でも思うんだ。
2015年、「mizu plus」に改名。
音源や映像作品を作りながら、都内でのライブ以外にも
年に数回の札幌ツアー、浜松や群馬とかにも遠征ライブをしに行ったり
かなり精力的に活動してたなぁ。
ソロ活動開始、そして全国へ
2015年、mizu plusの相方の渡辺が結婚。
それを期に、2人での活動は少し抑えめになった。
正直、最初にこの話を聞いた時、ショックではあったよ。
「もうmizu plusでは本格的に活動できないのかな。
俺、これからどうしよう…。」
って思った。
こいつと2人でいれば無敵だと思ってたから、これから先の事がすごく不安だった。
でもさ
結婚して子供もできた事だし、そりゃそうなるよね。ふつう。笑
1人で活動しても、音楽を辞める気はまったくなかったから
「これからどうするかなー。
自分1人でも、mizu plusに負けないカッコ良い音楽をやりたい。」
そう思ってた。
そして
2016年、1月。
ソロアーティスト「飯田正樹」としての活動を開始。
それと同時に
全国ツアーを発表。
…とか書くと
だいぶカッコ良い感じだけど
発表した時点では
どこを周るのかとか、どれくらいの期間やるのかとか
まだ何も決まってなかったんだよね。笑
でも
「宣言したからにはやるしかない!」
って
自分を追い詰めた。
もう後戻りはできないし
背水の陣ってやつかな。笑
その結果、1年間で
札幌、帯広、埼玉、小田原、浜松、大阪、福岡
など、全国各地でライブを決行!
あれ…
全国周りきってない!笑
まぁまぁ
これからやりますから!!
とにかく
こうやって全国色んな所を周りながら
「ファンの人が少しずつ増えてきて、音楽で収入を得る事はできるようになったけど
今のままじゃ音楽だけでは食べていけないな。」
って思ってた。
これまでの10年間やってきた音楽活動で
たくさん嬉しい事も、楽しい事もあった。
音楽をやっていたから出会えた友達や仲間
そして、僕の音楽を好きだと言ってくれるファンの人達。
音楽をやってきて良かったと思う瞬間は、何度もあった。
本当にありがたい事だよ。
でも
それだけじゃ、音楽だけで生活していく事はできなかった。
「いつまで頑張り続ければ、音楽で十分なお金を稼ぐ事ができるんだろう…。」
どうしたら音楽を仕事にする事ができるのか、すごく考えたよ。
たくさん考えた末に
「音楽を仕事にしたいんだったら、集客を学ぶ必要がある。」
そう思った。
そして、僕は
2016年、10月から
本格的に集客を学び始めるという選択をした。
ライブやCD製作を中心とした
今までの僕の音楽活動は、ここからガラッと変わっていく事になる。
「シンガーソングライター 飯田正樹の音楽知識のすべて」開設
そして
2017年、11月より
このサイト
「シンガーソングライター 飯田正樹の音楽知識のすべて」
を開設。
このサイトを立ち上げた理由は
はっきりと言うと
集客をするため。笑
「ミュージシャンは良い曲作って、クオリティの高いCD作って、カッコ良いライブやってればいいんだよ。」
そう思う人はたくさんいると思うし、昔の自分もそう思ってた。
でも
どんな手段を使っても、僕は
どうしても音楽を仕事にしたかったんだよ。
他にやりたい仕事もないしね。笑
自分が唯一誇れる、音楽でお金を稼いで、生活したかったんだよ。
ただ
お金のためだけにこのサイトをやってるわけじゃない。
このサイトを通して、あなたに
僕が10年間の音楽活動で培ってきた
技術、知識、感覚、体験、理論なんかを伝えられたらなと思うからやってるんだ。
音楽って本当に楽しいものだし、誰でも気軽に始められるものだと思うんだよ。
このサイトや、自分の音楽を通して
そういう事も伝えていきたいと思ってます。